趙鑫鑫選手の棋論(その2)

棋論・考察

以前にブログを開設したタイミングで、シャンチー(象棋)特級大師の趙鑫鑫さんに「鑫棋道」に書かれている趙さんの文章を翻訳して、私のブログで紹介してもいいですか~?と尋ねてみたところ、「問題ないよ!」とすんなりOKをもらい、1つ目の記事を書かせて頂きました。

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今回はその第2弾です。今回のテーマは「棋感圈」です。

この文章を読むまであまり意識したことのない言葉でしたが、面白い視点だなと思うので、翻訳してみました。

ではみなさま、お楽しみください。(^^)/

「モジュール理論」

【「記憶のかたまり」と記憶力】  

まず、はじめに一つ根本的な問いをあげておきます。

「シャンチーの訓練で何の能力の訓練が最も重要になるでしょうか。」

この問題は必ず解決しておくべきです。それによって訓練の計画を立てることが出来ます。これは国外(中国国外)のチェスの研究の論文の中から、私たちはいくつかの答えを見つけることが出来ます。

彼らは一つの実験をしました。そしてその実験でレベルの異なるプレーヤーの記憶力を同時に試験しました。その実験から最終的に、大師レベルのプレーヤーの「意味のある局面」への記憶力が、一般プレーヤーの記憶効率とは大きく離れていることが分かりました。また「意義のない局面(適当にコマが置かれた局面)」では局面への記憶力の差はとても小さなものでした。

この実験を通して最終的に彼らはこのような結論を出しました。 大師レベルのプレーヤーの棋力レベルが高いのは、彼らが多くの「記憶のかたまり」を持っているためです。そしてその単純な「記憶のかたまり」が複雑な化合物へ変化し「モジュール理論」になります(「モジュール」は単体でも機能として使えるが、その個々のかたまりを合わせて使うことの多い部品のようなもの)。

意味のない局面の中では、記憶力の差はわずかなもので、大師レベルのプレーヤーがそんなに優勢になることはありません。しかし局面が意味のあるものになると、大師レベルのプレーヤーはすぐに局面を記憶します。

はっきり言うと、入門者でも一つのコマの状況に、ある程度の理解はあります。例えば「馬が取られそうだ」とか、「炮はあのコマをとれるかな」と言ったものです。そしてさらにちょっとレベルの高いプレーヤーはその局部の良し悪しの判断をすることが出来、いくつかの戦術を組み合わせて考えることも出来ます。 そして強い選手になると盤全体のはっきりとした正確な判断が出来ます。

しかし、判断する全体の盤は、普通はいくつかの局部が組み合わさったものです。そのため「モジュール理論」と呼びます。これは私たちの理解しているシャンチーの感覚(棋感)から説明出来ると思います。

「棋感圈」

【はじめに】

私は以前書いた文章の中で「シャンチーの感覚(棋感)」は「計算能力」よりも重要だと話したことがあります。しかしただそれだけを理解しても、シャンチーの訓練では大きな助けにはなりません。私たちは「シャンチーの感覚(棋感)」がどのように形成されるのか、より深く掘り下げて考えなければいけません。

私は「棋感圏」と言う1つの概念を取り上げて考えてみたいと思います。

これは一つの新しい概念で、流行している「コンフォートゾーン(ストレスや不安が無く、落ち着いた状態でいられる場所のこと)の概念」を少し借りたものです。この「コンフォートゾーンの概念」を理解することが出来れば、シャンチーを勉強する上で大きな助けになります。

【「コンフォートゾーン」の内と外】

「勉強すること」は自転車に乗れるようになるまでの経緯と似ています。

勉強をはじめたばかりの頃はつまずきます。何度も転び、それを繰り返すうちに感覚を見つけ出します。そして少しずつ適応し、進む方向を考えなくても自然に自転車を運転することが出来るようになります。これを「コンフォートゾーン」内にいる状態と言います。 この「コンフォートゾーン」の中では全てを制御することが可能な状態になります。

では「コンフォートゾーン」の外ではどうでしょうか。

自転車の運転を例にとって考えてみます。例えば片手運転や両手を放して自転車を運転している状態を「コンフォートゾーン」の外にいる状態と考えます。このように考えると「コンフォートゾーン」はとても良いものです。少なくとも自分自身に安全でリラックスした感覚を与えてくれます。

シャンチーにももちろん「コンフォートゾーン」があります。

シャンチーを指す多くの人にはそれぞれ得意な布局があります。その布局を使う状態を「コンフォートゾーン」の中にいる状態と呼びます。しかし、もしも残局が得意でないのであれば残局の段階は「コンフォートゾーン」の外になります。

「コンフォートゾーン」の概念と「棋感圈」はとても近いものです。しかし「コンフォートゾーン」は感覚的なものを強調していますが、「棋感圈」はより内容を強調したものです。

ここから先の分析は「棋感圈」の概念から説明します。

「棋感圈」の外と中

【「棋感圈」の形成と棋芸の伸び悩み】

実際のところ「棋感圈」は1つの大きな穴です。多くの人がシャンチーを学ぶ上で、歩みが止まり、前へ進まなくなる原因はここにあります。「棋感圈」が形成される前は、とても速く進歩します。しかし「棋感圈」が形成されると、シャンチーを指すことは私たちに快適な感覚を与えます。このような感覚が棋芸を高めることに規制をかけてしまうのです。

最も危険な時は、シャンチーを指すことを簡単なことだと感じている時なのです。

【子供の持っている探求心と成長速度】

以前の文章で私は「なぜ子供の成長速度は成人よりも早いのか」と言う問題を取り上げたことがあります。この問いを「訓練することの出来る時間」と「頭の働き」と言う客観的な原因を取り除いて考えてみます。

その上で子供の成長速度が成人よりも早い理由を考えると、最も大きな理由は「子供たちがいつでも色々な物事に好奇心を抱いていること」が上げられます。彼らはどんな些細なものに関しても「探求する欲望」を持っています。これは成人にはないものです。大人がシャンチーを指すとき、多くの人は「この時はこう指すべきだ」と言うことや「この布局はこう指すものだ」と言う姿勢を持っています。私たちがこのようなことを当然と考える時、それはもう成長の空間を失っている時なのです。

【「棋感圈」の外の知識の探索】

では、ここで考えなければいけない問題が生まれました。全ての人に「コンフォートゾーン」はあります。シャンチーを学ぶ上で、みんな一定の場所で「棋感圈」に入ります。

ではどのようにすれば止まることなくレベルを高めて行けるのでしょうか。

当然自分の「棋感圈」を止まることなく拡大して行くしかありません。そして「棋感圈」を広げて行く一つの方法は、「棋感圈」の外の知識を止まることなく探索し続けることです。例えばいつも「中炮」を指している人が「仙人指路」を指してみること、これは新しい知識を探索していると言うことです。これは人に安心感やリラックスした気持ちを与えるものではありません。しかし自分自身が成長する上で最も良い方法です。

ただし原則として、自分の「棋感圏」から離れすぎてはいけません。遠すぎる知識は自身の持っている知識体系との互換性を持たせることが出来ず、あまり使えないものになってしまいます。

簡単な例をあげます。例えばシャンチーを指せるようになったばかりの人が大師と指しても、助けになることはほとんどありません。普通シャンチーの対局相手は自分より少し強い人と指すことが最も良いと私たちは考えています。なぜなら「棋感圈」は少しずつ大きくなるもので、瞬間的に大きくなるものではないものだからです。

(補足:自分と同じぐらいの棋力の人とシャンチーの対局をすることは「棋感圈」内であるためリラックスして指せます。しかし、「棋感圈」内に留まることは進歩を止めてしまいます。そのため今の自分のレベルよりも少し高いレベルの人を探して指すことが求められますが、高すぎるレベルの人と指すことも進歩に大きく結びつくものではありません)

おわり

おわりに

今回は「棋感圈」の概念についての文章でした。

説明の中で「私たちがこの布局はこう指すものだと考える時、それはもう成長の空間を失っている時だ」と言う文章がありました。深い言葉だなと思いました。

復盤をする際に周りのひとや対局相手に「このときはこうでしょう!」と言われたことが何度もあります。私も無意識に誰かに言っていたかもしれません。その時のことを思い出しました。(あの時すでに私たちには「成長の空間」がなくなってしまっていたのでしょうか)

私の周りにいる、日本でシャンチーを指している人の多くは、大人になってシャンチーの勉強をはじめました。そのため勉強はある意味でとても効率的です。みんながみんなそうではないかもしれませんが、多くの人が、はじめから「この布局はこういうものだ」とプロの試合や本などで学びます。

私個人の勉強を思い返してみると、そこに疑問を持ったことはありませんでした。「書いてあるからそうなのだろう」と思い、それを暗記しました。確かにこれは効率的な勉強方法だったと思います。短時間に色々な布局を学ぶことが出来ました。そしてそれも間違った知識の暗記ではありません。

しかし本をならべて簡単に知識を得た私と、子供の頃から感覚的にシャンチーを指し、その経験から、本で私が得たのと同じ量の知識を自分の力で理解し、身に付けた人とでは、持っているものの厚みが違うのです。今までも確かに小さい頃からシャンチーに触れている人達との差はずっと感じていました。(国際試合の相手など…)

そして今回改めて、この文章を読み、勉強を始めた年齢と言うのは簡単には埋めることの出来ないハンデなのかなと、感じました。

確かに思い返してみると、中国の棋院などを訪問した時に子供たちの復盤を見ていても「このときはこうだ!」と言うような言葉は聞いたことがないように思います。私が見た子供たちは、まだ決まった答えに縛られていない段階にいたのだと思います。彼らはまだ正しい開局の手順は知らないけれど、概念に縛られることなく「棋感」を身に着けている段階だったのです。

今回の文章は考えさせられることが多くありました。

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