シャンチー(象棋)トークリレー5人目「党斐さん」へのインタビュー

トークリレー

今回はシャンチー(象棋)トークリレー、5人目のインタビュー記事です。

シャンチートークリレーの5人目はシャンチー大師の党斐さんです!

前回のインタビューは曹岩磊さんでしたが、曹さんから同じ河南省チームの党斐さんにトークリレーのバトンが渡りました(*^^)

ちなみに現在までのバトン受け渡し状況はこちら↓

鄭一泓さん→汪洋さん→趙鑫鑫さん→曹岩磊さん→党斐さん(今ここ)

はじめに

党斐さんと言えば河南省出身のシャンチー大師で、目隠し多面指しの元ギネス記録所持者です。

そのギネス記録を出した会場で同時開催されていた大会に私も出場していたのでとても印象に残っています。何時間もかけ目隠し多面指しのギネス記録に挑戦する姿は本当に感動的な姿でした。あの時、はじめて指すだけではないシャンチーの魅力に触れた気がしました。

その後も様々なイベントで党斐さんとお会いすることがあり、とても親切にして頂いています!

曹さんから「次は党斐さんを紹介したいのだけど…」と連絡を頂いた時、「おお!ついに目隠し多面指しのお話を聞けるぞ~」ととても嬉しかったです。

それにしても一体何か月かけてインタビューするのですか…と言うぐらいの長期間をかけて書かせて頂いた記事ですが…、このマイペースさを党斐さんも私も何も気にすることなく一日一日が過ぎて行きました。 長い時間をかけて出来た記事なので、私にとっては思い入れのある記事になりました!

と言うことでトークリレーの記事の久々更新です!!

みなさま、是非お楽しみください(*´▽`*)

シャンチーとの出会い

Q、シャンチーに興味をもった時の年齢ときっかけを教えて下さい。

A、私は5歳のときにシャンチーの勉強を始めました。

シャンチーをはじめた理由は父の影響を受けたことです。私の父はシャンチーの大ファンです。はじめの頃は、よく私を連れて父は自分がシャンチーを指すことを見させてくれました。父は少しずつ私がシャンチーに興味を持ち始めていることを知り、私にシャンチーを教えるようになりました。

Q、シャンチーの勉強を始めたころの勉強環境についてもお聞かせください。

A、私は河南省にある城確山県と言う小さな県で生まれました。小さな県でしたので近くには高いレベルの大師選手はいませんでした。私はその中で身近な成人選手の助けを借りて勉強し、進歩して行きました。

私の小さい頃は進歩が非常に早かったです。勉強を始めて半年で私たちの地域の少年チャンピオンになりました。そして8歳のころに省の少年チャンピオンになりました。

これらのことは私がシャンチーを勉強する上での自信になり、前に進み続けるための原動力になりました。


○講義中の党斐さんの様子

柳大華先生とのお話し

Q、柳大華先生のお弟子さんだと伺ったことがありますが、柳先生のお弟子さんになるまでの経緯を教えて下さい。

A、そうです。私は8歳(1995年)のころから柳先生のところで学びはじめました。

このことは全て神様が手配してくれたものと言うべきかもしれません。

1995年の夏、8歳の私は青島で行われた全国シャンチー少年選手権にはじめて参加しました。試合のために何日か早く青島に行きました。その時同時に青島で行われていた全国チャンピオン大会を見に行きました。その時柳先生も試合に参加されていました。 おそらく会場でまだ幼い子供だった私が横で試合を見ていたのが、柳先生の印象にも残っていたのだと思います。

全国少年選手権が始まると、柳先生は湖北省チームの子供たちを連れて試合会場に現れました。この時柳先生は私のことを重点的に観察しているようでした。

そんな中、私の父も柳先生を探して話しかけに行きました。父は柳先生が私の師匠になってくれることを望んでいました。そして柳先生はその希望をを迷うことなく受け入れてくれました。この時から私と柳先生の師弟関係が始まりました。

○党斐さんと柳大華先生

(党斐さんと柳大華先生による目隠しシャンチーのイベントの様子)

Q、柳先生の授業で印象に残っていることを教えて下さい。また柳先生とのエピソードなどがあれば是非お聞かせ下さい。

A、柳先生は学生をとても気にかけて下さる先生でした。苦労を惜しまず、先生の持っている知識を少しも残すことなく全て教えてくれました。柳先生は自らを模範として学生に影響を与えていました。柳先生は私の成長にとても重要な意義をもたらした人です。私の多くの方向性(シャンチー以外にも多くの面で)は柳先生から学んだものです。

柳先生は私を自分の息子のように、生活の中のどんなところにも気をかけて下さいました。

そしてまた勉強には厳格な要求がありました(求めているものが高かった)。

小さい頃に私は訓練期間中に隠れてインターネットカフェにゲームをしに行ったことがあります。柳先生は自転車に乗って何軒かのネットカフェをまわり、私を探し歩きました。

最終的に私を見つけて、自転車の後ろにのっけて家に連れて帰りました。

あの時自転車の後ろに座りながら見た柳先生の堂々とした、たくましく、立派な後ろ姿を私は今でも良く覚えています。あの光景はこれからずっと私の脳内に残って行くと思います。

兄弟弟子との関係性

Q、柳大華先生のお弟子さんにはプロになられた方が多くいると思います。

兄弟弟子の中でとくに仲の良い選手はいますか、また何かエピソードがあれば教えて下さい。 兄弟弟子と言う感覚が私にはあまり良く分からないのですが、それぞれプロになり、別々のチームで活躍するようになってからも、他の人とは違うつながりのようなものがあるのでしょうか。

A、もちろんあります。

私は小さい頃から湖北省シャンチーチームで訓練を受けて来ました。このチームの私たち兄弟弟子のみんなにはお互いに思い合う気持ちが深くあります。

例えば汪洋選手です。私たちは当時の湖北省チームの長期訓練の中では2人のジュニア選手でした。普段はいつも一緒に学びました。また私たちの間には良く試合の代表争いもありました。当時の私たちはとても近いレベルでした。私たちは兄弟弟子でありながらも、時にはライバルにもなります。私たちがまだ幼かったころ、お互いに競い合うことが動力となり、シャンチーのレベルを高めることが出来ました。

2003年、私は全国少年選手権で優勝し、シャンチー大師のタイトルを獲得しました。

当時、汪洋選手はとても心を揺さぶられたことと思います。なぜなら当時、彼のレベルはすでに私よりも上にあったにもかかわらず、彼はまだシャンチー大師のタイトルを持っていなかったためです。そこで汪洋選手も自らの目標を立てました。(この時汪洋選手は大師のタイトルをとる目標を立てました。)そして汪洋選手は2004年の全国等級大会で優勝し、シャンチー大師になりました。この時から汪洋選手は自分自身の素晴らしいシャンチーの人生を歩み出しました。

そのため、私たちはお互いにそれぞれの存在に感謝し合っているのです。

私たち兄弟弟子は現在それぞれが別々のチームに所属しています。試合で戦い合うことは避けられません。

そんな私たちですが、私たちはお互いの棋風を良く理解しています。そのため対局の時はお互いに複雑で攻撃的な手を選びます。(お互いにお互いの棋風や研究している開局やシャンチーの技巧等を良く理解しているので、平凡に指すと引き分けになりやすいため)

勝敗についてはとくに気にせず、誰が勝っても負けても、私たちはやはりとても楽しい気持ちでいます。これはおそらく兄弟弟子の間の気持ち的な繋がりがあるからだと思います。

○党斐さん

目隠しシャンチーと党斐さん

Q、党斐さんと言えば目隠し多面差しでとても有名ですが、目隠しで多面差しを指してみようと思ったきっかけを教えて下さい。

また目隠しで多面差しを指している時、頭の中はどのようになっているのでしょうか。あまり想像の出来ない能力なので、是非指している時の脳内の様子をお聞かせ下さい!

A、目隠しでシャンチーを指すことは、シャンチーの中の一つの特別な技術です。これは見て楽しむものです。目隠しシャンチーのパフォーマンスは見る人がシャンチーを指せるかどうかにかかわらず、見る人が皆、その技術に魅了されるものだと思います。目隠しシャンチーに求められるものは棋芸だけではありません。より多く求められるものは記憶力と意思の力です。

実際のところ私が目隠しシャンチーを勉強し始めたのはだいぶ早い頃からです。 私がシャンチーの勉強をはじめたばかりの時、父は目隠しシャンチーの能力を鍛えることに意味を感じ、よく私を静かなところに連れて行き、目隠しシャンチーの練習をさせました。 はじめたばかりの頃は1面のみ指すことが出来ました。後になって盤面の数はどんどん増えて行きました。目隠しシャンチーの訓練に必要なものは諦めずに挑戦して試す精神と、苦しみや辛さを堪えようとする精神です。

もちろん、柳先生のところに弟子入りしてから、私の目隠しシャンチーへの理解はより深くなりました。

なぜなら柳先生はよく私を色々な場所に連れて行き目隠しシャンチーのパフォーマンスをしていたためです。柳先生の目隠しシャンチーのパフォーマンスでは、私は対局相手の指し手を読み上げる役目でした、私は柳先生の目隠しシャンチーの技巧を観察して、先生からいくつかの技巧を学びました。

見たり聞いたりしているうちに、気が付くと私の目隠しシャンチーのレベルは早いスピードで進歩していました。

14歳の時、私は目隠し10面指しが出来ました。目隠しシャンチーの多くの盤面を記憶するのには鍛錬が必要です。また止まることなく自分に挑戦し続けることが必要です。

目隠しシャンシーの記憶方法は実際のところ「特徴記憶」です。全ての盤面の特徴から盤面を整理して記憶します。私たちは目隠しシャンチーを指す際、一般的に開局から全ての試合にタイトルを付け、そのタイトル毎に分類し記憶します。全ての対局の特徴を出来る限り具体的に詳細にまとめます。毎回必要な局面までたどり着くと、特徴からその局面の記憶を思い返します。そして一手指し終わると、またこの一局の局面を頭のそこに戻します。(多面差しでいらないときには記憶の隅にやる)

この記憶方法はパソコンで文章ファイルを操作している時に似ています。全てのファイルに違う名前を付け、必要な時必要な文章ファイルを開きます。そのため外国の人は柳先生のことを良くたたえる意味で「東方電脳(パソコン)」と呼びます。私はこれをとても適した呼び方だと思います!

○目隠しシャンチーを指す党斐さん

河南省のシャンチーについて

Q、現在河南省でシャンチーの普及活動やチームでの甲級リーグへの参加など、多くの活動をされていると思います。党斐さんの理想とする河南省のシャンチー界の未来と、現在、そのために取り組んでいる活動内容を教えて下さい。

A、私は河南省のシャンチーには美しい未来があると心から思っています。

なぜなら私はずっとシャンチーの本質は中華文化の中にあると思っています。そして河南省は華夏文明の発祥地であり、中華文化の根源地なのです。シャンチー文化もその根源地に戻り、盛んに発展して、もう一度光を放つべきだと思います。

そのために何年もの長い間、河南省以外の地に選手が流れて行ってしまった後ですが、私はためらうことなく、故郷である河南省に帰ってきました。私は自分自身が努力しシャンチー文化が河南省で大きく広がるようにしたいです。そして、シャンチーの発展で中華文化が世界に、さらに高く翼を広げることを願っています。 そのために故郷である河南省に戻った後、私は多くの国内外の活動を行う組織に参加しています。

もちろん私はとても運が良かったと思います。河南省に戻ってから多くの地位のある方と知り合いました。彼らは私の考ていることを支持して下さり、多くのことで私を助けて下さいました。このことで私は、故郷である河南省のために熱意を持って、思う存分シャンチーに打ち込むことが出来、努力し続けられています。

今、河南省には私たちのプロシャンチーチームがあります。

河南省を代表し甲級リーグにも参加しています。そこでは多くのシャンチーファンの注目をあびています。

同時に私たちは本格的にシャンチー教育に取り組んでいます。そして多くの優秀なシャンチーの苗が少しづつ頭角を現し始めました。全国大会での勝ち星だけでなく、マスメディアの舞台に上がること、このようなことは以前の河南省シャンチー界ではなかったことです。

私はこれらのことは全て、今後の未来の始まりであると信じています。

私は河南省がシャンチー事業の中心になり、競技の中心になるだけではなく、文化の中心になり、さらに教育や産業の中心になることを望んでいます。

またシャンチーが河南省と言う根源地からエネルギーを汲み上げ、より多くの人の支持を得て、さらに多くの人に感心を持って頂けることを望んでいます。

シャンチーが中華文化を代表する重要なものとして、河南省から世界に発展して行くことを信じています。私はこの未来のために、初心を忘れず、ずっと努力して行きます。


○シャンチー講義やミーティングの様子

党斐さんにとってのシャンチーとは

Q、党さんにとってのシャンチーとは何ですか?

A、シャンチーとの結びつきも長くなりました。私はシャンチーに感謝しています。なぜならシャンチーから私は多くの名誉(栄冠)を得たためです。これにより私の人生には自信が満ち溢れました。

しかし、それよりももっと私がシャンチーに感謝するべきことはシャンチーが私に人生の悟りと思考を運んでくれたことです。シャンチーの中から、私は人としての生きて行く上での多くの礼儀を悟りました。

私にとってのシャンチーは私の詠んだ一句に代表されています。

“亦茶亦酒亦知己,弈紅弈黑弈人生”

この詩から亦と弈を取ると「茶・酒・知己(自分のことをよく理解してくれる友人のこと)、紅黒(ここでの紅黒はシャンチーのことを意味しています)人生」です。

つまり、私の人生はお茶とお酒と親友とシャンチーが全てです。私にはそれだけです。

そういうことですね。


○子供たちに教えている様子

おわりに

Q、日本のシャンチーファンに一言お願いします!

A、日本のシャンチーファンの皆さん、 みなさんがシャンチーを愛してくれていることや、みなさんが中国文化を受け入れて下さったことに本当に感謝しています。

棋芸は世界の平和につながるものです。

シャンチーはシャンチーを指すことだけで繋がっているわけではないのです。

小さいシャンチーの盤でも、大きな世界でも、

私は私たちがシャンチーを通じて平和の橋や友好の橋を架けることが出来ることを信じています。私たちはともに努力し合いましょう!

頑張れシャンチー!


○おわりに

みなさん、党斐さんのインタビューはいかがでしたか?

党斐さんは気さくな方で、とても話しやすい方です。私とは年齢も近いのでそう言った意味でも話しやすさが増しています(*´▽`*)

そう言えば以前に上海の趙瑋さんとご飯を食べていた時に、党斐さんの話になり、趙瑋さんが「党斐さんはすごくお酒が強いんだよ!どんだけ飲んでもなんでもないようにしているんだよ!」と言っていました。それを聞いていたので河南省に遊びに行く時に党斐さんに「すごくお酒が強いらしいと聞いたのでお土産にこれをどうぞ」と言って日本酒を渡してみました。すると党斐さんが「そのうちボクが飲めなくなってきたら飲めなくなった噂もすぐに広まるのかな?」と言っていました(笑)

党斐さんがお酒が弱くなる日が来るのかどうかも楽しみです…!

党斐さんとは、今後も国際大会やイベントなどでお会いすることがあると思いますので、またブログにも登場して頂けることと思います!

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

また、党斐さん、長期間に渡るインタビュー、本当にありがとうございます!

今後も党斐さんのご活躍を応援しています!!(>_<)

おわり

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