シャンチー(象棋)トークリレーの7人目「呉優さん」へのインタビュー

トークリレー

(写真:鄭惟桐さん(左)とシャンチーを指す呉優さん(右))

シャンチー(象棋)トークリレーの7人目は呉優さんです!

○このコーナーの説明

現在までのバトン受け渡し状況はこちら↓

鄭一泓さん→汪洋さん→趙鑫鑫さん→曹岩磊さん→党斐さん→鄭惟桐さん→呉優さん(今ここ)

はじめに

前回は鄭惟桐さんにバトンを受け取って頂き、インタビュー記事を書かせて頂きました。そして今回は鄭さんから呉優さんを紹介して頂きました!呉優さんは鄭さんとは兄弟弟子で、鄭さんにとってはお兄さんのような方なのだそうです!「とてもいい人だ」とインタビュー前に鄭さんがお話しされていたのですが…、想像以上に素晴らしい方でした!またインタビューでの文章などから本当に頭の良い方なのだな~と感じました。 鄭さんが是非インタビューをしてみて欲しい!とお話しされていたことに納得な、とても素晴らしい記事になりました!(超大作な記事なのでみなさんゆっくり読んで下さい!!)


呉優さんは全国少年シャンチー大会で二度の優勝経験があり、その後中学生の頃から高校生の頃にかけて四川省の成都チームにプロ選手として所属していた方です。その後大学への進学とともにシャンチーのプロとしての生活を引退し、その後はアマチュアプレーヤーとしてシャンチーを楽しむ生活をされています。また党斐さんと文章の共同執筆をされたりもしています!

最近では今年の3月にプロ選手対アマチュア選手の2先での対局の大会に出場され、趙鑫鑫選手との対局で注目を集めていました!

ちなみに私はインタビュー前に呉優さんの棋譜を検索し、並べていたのですが、趙鑫鑫選手や徐超選手との対局棋譜も残っていました!現在シャンチー界で活躍されている多くの選手と対局経験があることは素晴らしいことだな~と思いながら色々な棋譜をならべました!

今回のインタビューでは以前プロとしても活躍された呉優さんが、現在は趣味としてシャンチーを楽しむ生活を過ごすまでに至った、シャンチー人生の振り返りと現在のシャンチーとの向き合い方について様々なお話を伺いました!

みなさま、是非お楽しみ下さい!

全国少年シャンチー大会について

呉優さんのシャンチーの経歴をたどる上で、一番はじめに聞かなければいけないお話は、全国少年シャンチー大会の優勝についてです!早速そこからインタビューを始めました!!


Q、全国少年シャンチー大会に参加された時のお話しをお聞かせ下さい!(当時の試合の様子について覚えていることを色々とお伺い出来ればと思います!)また、優勝された時のお気持ちやまわりの反応なども教えて下さい。

A、私は全国少年シャンチー大会で二度優勝したことがあります。1998年に14歳組、1999年に16歳組で優勝しました。だいぶ昔のことなので記憶も曖昧なところがありますが、少し当時の対局記録を見てみました。私がはじめて全国少年シャンチー大会に参加したのは1994年で、最後に参加したのは2000年です。その間1996年だけは全国少年シャンチー大会に参加していません。この年は“希望杯”全国少年シャンチー大会へ出場しており、そこで個人と団体で優勝しました。この“希望杯”と全国少年シャンチー大会は時期が重なっていたため、どちらかひとつしか出場することが出来ませんでした。

私は1998年にはじめて全国少年シャンチー大会で優勝しましたが、その前から全国少年シャンチー大会や“希望杯”に出場していたため、私のことは多くの人が前々から知っていました。


【はじめて優勝した全国少年シャンチー大会】

1998年8月8日-13日、この年の全国少年シャンチー大会は四川省成都市の新都香園賓館で行われました。それ以前にも1996年の全国団体戦や“希望杯”少年大会、1997年全国少年シャンチー大会もこの場所で開催されました。私はこれらの大会に参加しており、試合環境を熟知していました。そのため、この年の全国少年シャンチー大会は私にとってよく知ったホームグラウンドでの対局になりました。 試合は全部で9ラウンドのスイス式の大会でした。私は1ラウンド目から5ラウンド目まで5連勝しました。戦績は理想通りに進みましたが、過程はあまり順調に進んだわけではありませんでした。5局中2局は逆転勝ちでした。そして6ラウンドでは広東省の朱琮思選手(後に広東省シャンチーチームに入りました)、7ラウンド目では温州の蒋川選手(後に北京シャンチーチームに入りました)とあたり、引き分けになりました。そして続く8ラウンド目は勝ち、最後の9ラウンド目には湖北省の汪洋選手(後に四川省シャンチーチームに入りました)とあたり引き分けでした。結果は6勝3和で優勝しました。(この大会では朱琮思選手が準優勝,汪洋選手が3位でした)

【2度目の優勝となった全国少年シャンチー大会】

1999年8月2日-7日、この年の全国少年シャンチー大会は浙江省温州市永嘉県で行われました。1999年の大会では、私は16歳組に参加しました。これは全国少年シャンチー大会で一番年齢の高い組みで、とてもレベルの高い組みです。試合方法は9ラウンドのスイス式の大会でこれまでと同じです。

この大会では1ラウンドで勝ち、2、3ラウンドでは引き分けでした。4ラウンドでは意外にも負けてしましました。本来であれば負けてしまった時点で良い順位をとることは出来ません。そのためとても気持ちが楽になり、その後の対局では逆に力を上手く発揮することが出来るようになりました。その後、第5ラウンドから9ラウンドまで、私は5連勝しました。その中の6ラウンド目は温州の蒋川選手に勝ち、7ラウンドは江蘇の李群選手(後に江蘇省シャンチーチームに入りました)に逆転勝ちし、8ラウンド目は天津の王躍飛選手に激戦の上勝ちました。最終的に9局指し終わってみると6勝2和1負で優勝していました。

【当時のまわりの反応】

1998年にはじめて全国少年シャンチー大会で優勝した時、私も家族もとても喜びに沸きました。もちろん1996年の“希望杯”での優勝もその前の省や市の大会の少年大会での優勝などもしていたので、全国少年シャンチー大会での優勝にも少し心の準備がありました。優勝が決まった後、四川省のテレビ番組でもインタビューがありました。1999年に再度優勝した時はさらに大きなことでした。私は4ラウンド目で負けてしまった時に、すでに自分が優勝することは出来ないと思っていました。しかし私の監督やコーチや友人、家族は私が優勝したことを当然のことだと考えていました。

Q、全国少年シャンチー大会参加方法を教えて下さい!

A、全国少年シャンチー大会の参加資格は私の印象の中では2つの段階があります。

1994-1995の全国少年シャンチー大会は全ての省や市、自治区、計画単列市、行業体協の各単位から男女各1人が参加することが出来ました。一般的にはそれぞれの単位でとても厳格に代表の選抜を行います。しかし必ずしも予選トーナメント形式ではありません。1996年は、私は全国少年シャンチー大会に参加していません。そのため実際の情況はあまり良く分かりません。

1997年から全国少年シャンチー大会は定員の制限がなくなり、選抜も必要なくなりました。少年棋士は自分でエントリーすることが可能になりました。

Q、全国少年シャンチー大会に参加されていて、その後プロになった選手の方々は(蒋川選手や汪洋選手など)当時から、他の選手と異なる雰囲気を持っていましたか?

A、後々専業棋士になった多くの選手は、全国少年シャンチー大会ではすでに頭角を現していました。順位も比較的高かったです。私と同じ組にいた選手ですと、蒋川選手や汪洋選手がいました。彼らはとても苦労しつつ、真面目に取り組み続けた典型的な選手です。彼らがはじめて全国少年シャンチー大会に出場した時、まだ彼らのレベルはずば抜けて高かったわけではありません。私たちは毎年一緒に試合に参加しており、私は毎年毎年はっきりと彼らのレベルが大きな進歩を遂げていることを感じていました。また試合の成績もどんどん良くなって行きました。


○呉優さんの母校である四川省金堂中学での車輪戦の様子

四川省専業棋士チームでのお話し

Q、中学生~高校生のころから専業棋士として四川チームで活躍されていたそうですが、四川省の団体チームに加わることになったきっかけをお聞かせ下さい。またシャンチーと学校の勉強の両立の面などで当時苦労したことなどがあればお聞かせ下さい。

A、私は中学生のころ四川チームのメンバーとして全国専業棋士大会に参加していました。

小学生のころにも全国シャンチー団体戦(1996年5月)に参加したことがあります。その時は、乙組の参加チームが奇数であり、スイス式の大会のためチーム数を偶数にする必要がありました。また大会が四川省成都市で開催されていたため、開催地として成都チームは「成都第2チーム」を作ることになり、私は運の良いことにそのチームに入ることが出来ました。

この大会が終了してから半月が経ち、私は中学受験をし、1996年9月中学校へ入学しました。

四川省のシャンチーチームに入ったのは1997年からです。

シャンチーを一種の職業として訓練することと遊びで指すことでは、シャンチーに費やす時間や精力等、全く異なるものです。もしも遊びで指しているだけであれば、表面だけ楽しむことで深く追求することはありません。そうであれば生活や勉強との間に大きな衝突は起こりません。しかし職業棋士のレベルの訓練を続けるには、多くの時間と精力を費やす必要がありました。そのため、シャンチーの訓練と学校の勉強の両方に気を配ることはとても大変なことでした。私は学校での文化の勉強以外ほとんどすべての時間をシャンチーの勉強にあてていました。

当時遭遇した一番大きな困難は、全国職業棋士シャンチー大会と学校の文化課程の期間がぶつかってしまったことです。

私は四川から大会の開催地へ向かい、1999年の全国シャンチー団体戦に出場しました。その大会は全部で9ラウンドです。試合期間は4月16-25日までで、毎日1ラウンドずつ指すため9日間の滞在が必要です。そして成都から試合会場までの往復の時間もかかります。またこのような大きな大会の前には集中訓練があります。そのため私が全国職業棋士シャンチー大会へ1回出場するためには20日間の期間が必要になります。そして、1年間に2度全国職業棋士シャンチー大会(上半期は団体戦,下半期は個人戦です)へ参加しなければいけませんでした。

私は中学三年生と、高校一年生の頃の二年間、この大会へ出場しました。このことで学校の文化過程の講義に遅れが出ていました。また週末はシャンチーの訓練に参加しなければならないため、文化過程の授業を補習する時間をあまり多くとることが出来ませんでした。ただ、幸いなことに私の学校の成績はずっと良かったです。あらかじめ自分で教科書の知識を学ぶことで小学校や中学校の頃は勉強にも余裕がありました。 毎学期が始まる前に自分で先に自習することで先生の授業よりも早く学習を進めました。このようにすることで20日のシャンチーの大会を終えて学校に戻った時に、文化過程の授業の遅れがあまりないようにすることが出来ました。このように効率的に先生の授業の進度よりも早く勉強を続けました。計算してみると私が自習して進めた勉強内容は中学生の頃の総内容の50%にあたります。

A、学校の授業で得意だった科目を教えて下さい(やはりシャンチーが強い方は数学でしょうか??)

私は理数系科目に興味がありました。ずっととても面白いと思っていました。シャンチーはロジック的な思惟能力を育てるものです。そのため理数系科目の勉強にとても大きな助けになりました!同時に私は国語もとても好きで、中国の伝統文化も大好きです。


(私もこの置物を見つけたら絶対に同じように写真を撮ると思います!)


Q、シャンチーの勉強を始めた時のお話しや、四川チームに入るまでの経緯等をお聞かせ下さい。

A、私はとても小さい頃、家族の影響でシャンチーの勉強をはじめました。私はシャンチーを指すことが好きだったため、5歳のころから成都棋校でシャンチーの勉強をはじめました。先生は唐俊煒先生でした。故郷の金堂県は成都市の下にある県で、成都市から50kmほど離れていました。私は成都棋校に行く以外は普段金堂にいました。学校の授業が終わると呉幼章先生の家へ行き、呉先生の元でシャンチーを学びました。このような状態が数年続きました。

20世紀、90年代初頭、当時の成都の交通はまだ現在のように発達していませんでした。そのため毎週末成都棋校へ勉強に行くのも、往復の移動にとても多くの時間がかかりました。しかしこのように努力を続けた結果、シャンチーのレベルも試合での成績も伸びて行きました。

1993年、私ははじめて成都市少年シャンチー大会で優勝しました。その後省や市の大会では何度も入賞しました。このような結果が私の励みになり、私はシャンチーの勉強を継続することが出来ました。

また、この年から私は李艾東先生(鄭惟桐さんの先生でもあり、その後鄭さんと呉さんは兄弟弟子になりました)のもとでシャンチーを学ぶようになりました。1996年、私は成都第2チームとして全国団体戦に出場しました。同年四川省に四川省少年シャンチー訓練チームが成立しました。これは四川省職業棋士チームの今後の選手を育成するための訓練チームでした。私もここに入りました。訓練チームは全部で10人弱のチームでした。そこでは李艾東先生と蒋全勝先生が私たちにシャンチーを教えて下さいました。

このほかで、私は“希望杯”全国少年シャンチー大会で個人及び団体で優勝しましたが、これは私がはじめて手にした国家級大会の優勝でした。1997から、今後四川省の職業棋士チームのメンバーにすることを目的とし、四川省シャンチーチームは少年選手を全国団体戦に出場させるようになりました。具合的なメンバーは訓練チームの中から試合で選抜されました。私はチーム内で優勝し、四川チームとして全国団体戦への出場資格を手に入れました。

1999年全国少年シャンチー大会で優勝し、それにより私は全国個人選手権への出場資格を手に入れました。そこで私は四川省職業棋士シャンチーチームのメンバーとして全国専業棋士大会へ参加しました。

鄭惟桐さんと私は兄弟弟子です。私たちは同じ先生についてシャンチーを学びました。同じ期間に成都棋校と四川省少年訓練チームで学んだこともあります。私が四川チームを離れた後も私たちは連絡を取り合っています。とても良い友人です。また私は彼がシャンチーの初心者のころからトッププロになるまでの過程を見守って来た人間でもあります。


Q、四川省チームで専業棋士として活躍されていた際にチーム内で行われていた訓練についてお聞かせ下さい。

A、私は四川チームに入る前から一定以上のレベルを持っていました。前段階の勉強で、ある程度しっかりした基礎を勉強していたためです。

(象棋の対局は一般的に開局、中局、残局の3段階があります。これ以外には殺法と言う独立した段階があります。殺法はサッカーで言うシュートでしょうか。シャンチーの基礎練習は一般的に4つの段階に分けて行います)

四川省チームにいた時の訓練の主要部分は2つに分かれていました。

1つは対局と復盤、もう1つは布局の研究です。基本的な能力が明らかに漏れていることのない選手にとって、この2つの方法を交互に行うことはシャンチーのレベルを上げることにとても大きな効果があります。その中でも対局後の細かい復盤と総括はとても重要です。チーム内の対局訓練は先生と学員がともに行う対局です。ある時は臨時で対局相手を振り分け、またある時は対局練習として試合に参加していました。また、最も重要なことはチーム内での選抜です。これにより重要な大会に出ることが出来るかどうかが決まります。


北京大学時代のお話し

Q、北京大学で勉強されていたとのことですが、四川省出身で北京大学を受験するまでの経緯を教えて下さい。

A、私にはシャンチーと言う特技がありました。そのため北京大学は、私が入学するにあたっての基準を比較的有利なものになるように政策をとって下さいました。私はこのときシャンチーの専業棋士でしたが、学校の文化課程の勉強を放棄していませんでした。そしてまたその成績もずっと良かったです。そのため入学試験を通ることはそんなに難しいことではありませんでした。そして入学試験も比較的順調に終えました。

Q、北京大学に在学中のシャンチーの活動についてお聞かせください。また大学時代の出来事で一番印象に残っていることについてもお聞かせ下さい。

A、北京大学への入学を決めたことは、私にとって「専業棋士として生きることを放棄する」と言う選択でした。また専業棋士にならずプロ選手の出場するシャンチー大会へ参加しないのであれば、私のその時のシャンチーのレベルはすでに十分なものでした。そのため大学入学後はシャンチー以外のことに時間と精力を注ぎ込みました。文化課程以外にも、書道や茶道、写真、自転車の運動等、その他でシャンチーのイベントにも参加しました。


(自転車競技の写真と北京大学卒業時の写真)

○ちなみに自転車の運動とは…??と思い、伺ったところ、

「自転車運動とは自転車に乗って行う体育運動の一つです。1896年にはじめてオリンピックに正式種目に選ばれました。この競技は道路レースや、山地レース、高山から降りる速さを競うレース、障害走レース等、様々な項目に分かれています。私が参加しているのは道路と山地のイベントで、レベルはまだまだなので、ハイレベルのクラスの大会には参加出来ていません。私たちが通常自転車で行う活動は道路を一日で200㎞以上走るものです。私は2008年に河南省滎陽市のシャンチーのオープン大会に参加しました。河南省滎陽市はシャンチーの“楚河漢界”のあるところです。私はこの大会に参加するときに自転車をもって行きました。そして試合後3日間かけて自転車で北京に戻りました。その距離は800㎞です。」とお返事を頂きました。写真を見る限り…!!すごいですね!!河南省から北京までは…気合の必要な距離です!! また、趣味のひとつである写真も数枚写真を頂きましたので、記事の下で紹介させて頂きます!


【大学時代に参加したシャンチー活動について】

私が大学の時に参加したシャンチー関連の活動は主に4つの方面のことです。

1つは試合です。最も重要な試合は毎年1度北京大学と清華大学で組織される官方棋牌対抗賽、“京華杯”です。このほかには“北大杯”(北京大学主催で、学校共青団委員会運営の毎年1度のマインドスポーツ試合です)、“西南聯大杯”北大清華南開三校友誼賽、北京市高校象棋聯賽、“潤洁杯”北大象棋オープン大会、“聯衆杯”北京高校棋牌明星大会などの大会がありました。

2つ目は女子の世界チャンピョンのお手伝いです。これはシャンチー特級大師の金海英さんが北京で開いた“シャンチー文化と技戦術”の公開課程を教える任務です。金海英さんが先生で私は助教として、その補助をしていました。

3つ目は兄弟校のシャンチーのイベントへの参加、4つ目はシャンチーの評注やシャンチー理論の文章を書くことでした。


【当時のシャンチーの勉強について】

“京華杯”の前、私は以前職業棋士チームに所属していた時の大会前の訓練と同じように、試合のための調整をしました。それ以外の時は愛好者として全国の専門棋士の対局を観戦したりしました。しかし、観戦していても以前のように深く細かい研究をすることはありませんでした。


【“京華杯”について】

“京華杯”は、はじめは北京大学と清華大学の2校の職員のマインドスポーツ愛好者によって組織されました。第1回“京華杯”は1987年に開催されました。その後毎年1回開催されています。開催され始めた当初は今ほど多くの種目がありませんでした。現在はシャンチー、囲碁、チェス、ブリッジの4種目です。全ての種目に、学校で働いている方々と本科生、大学院生の3チームがあります。(チェスは参加人数が多くないため学校で働いている方々と本科生、大学院生の3つが合わさって1つのチームになっています。)それに加えて“女子連合チーム”があります。このチームはシャンチー、囲碁、チェスの3つの種目に各1名の女子選手がいます。これらすべてのチームを合わせると11種目があります。

(ちなみに“京華杯”のシャンチーの持ち時間は75分切れ負けです)

私は2003年から2005年(第17-19回)の“京華杯”のシャンチーの大会へ出場しました。就職試験の面接と時期が重なっていたため2006年は参加していません。 毎年“京華杯”では1日2局、同じ相手と紅黒を入れかえて対局を行います。午前午後で各1局です。私はシャンチーの本科生チームで3回“京華杯”に参加しました。

私が参加した試合では2003年、2:0で周游選手(清華大学シャンチーチームの隊長)に勝ちました。そして、2004年は1:1郭暉選手(周游選手の後に清華大学シャンチーチームの隊長を任された方です)と引き分け、2005年は2:0で于卅選手に勝ちました。


○学生時代の大会の様子

(左:郭暉選手との対局の様子、ちなみにこの写真…大きい盤の上に盤と時計が置いてある!!←発見!、右:北京大学、清華大学、南開大学の3校で行われた交流大会の様子、対局相手は学生時代の王天一選手)


○はじめての“京華杯”

私にとって最も深く印象に残っているのは第17回“京華杯”です。

2003年4月5日、私ははじめて“京華杯”に参加しました。シャンチーの本科生チームです。各チーム4名の選手が対局に参加し、組み合わせは抽選で決まります。私の対局相手は清華大学シャンチーチームの隊長周游選手でした。周游選手は少年時代柳大華先生について学んでいた選手です。湖北省少年シャンチー大会での優勝経験もある、非常にレベルの高い選手です。

2003年、彼は大学4年生で当時の清華大学のシャンチートップ選手でした。この時私は大学1年生で、“京華杯”は北京大学シャンチー大会で優勝した後の大会でした。私と周游選手の対局は、北京大学と清華大学、2校のシャンチートップ同士の正面対決を意味する対局でした。そのため多くの人が関心を寄せていました。

私と周游選手はこの大会の前、何十局も対局をしたことがあります。周游選手との対局は確かに棋力が互角同士の対局です。きっと周游選手は卒業をひかえ、就職活動の方面で精力を奪われていたのでしょう。この試合では棋力がしっかりと発揮されていませんでした。また私は対局前にとても多くの準備をしました。そのため試合では、私は自分の力をしっかりと発揮することが出来、対局の質もとても高いものとなりました。結果、大会での最終局の2局はどちらも私が勝つことが出来ました。対局後、私は《棋芸》雑誌の2003年第11期で『象牙塔里的決闘』と言う文章を書きました。そこでは私の対局から自選解説を書き、対局での考えの総括をしました。 (象牙塔は一般的に大学を意味します)


(当時の「棋芸」、呉優さんの文章が紹介された号です)

専業棋士の引退と現在

Q、2001年に大学へ入学し、職業チームをやめシャンチーの愛好者としての道を選ばれたとのことですが、その決断をされるときに悩んだことなどがあれば教えて下さい。また、シャンチーのプロを目指せばよかったなと後悔することはありますか。

A、2001年に私の職業棋士である人生は終わりました。私は大学入試を受けることを選び2002年に大学へ入学しました。私は文化知識を学ぶことは自分の思想の境界を高めることに繋がると思います。これは人生の中でとても重要で、欠かせないものです。私が大学での勉強と職業棋士の選択を悩んでいる時、例えば私が一時的に勉強を休み、専業棋士になり、シャンチーの大会でより優秀な成績をとることが出来た場合も、その後学業へ戻り文化知識の勉強をする必要があると考えていました。 もし当時学校での勉強と職業棋士としてのシャンチーの道をどちらも継続する選択があれば、私は職業棋士であることを放棄することはありませんでした。ただその2つのどちらかを選ぶのであれば、私は学業をより深く学ぶことを選びます。

私はシャンチーが大好きです。ただ必ずしも専業棋士になる必要はないと考えていました。一人のアマチュア愛好者であってもシャンチーの楽しさを味わうことは可能です。しかし私にとって文化知識は必ず学ばなければいけないことでした。そのため、もしも私が再度この選択をするとしても、私はやはり同じ選択をします。

専業棋士にならなかったことに対して、感性の角度から言えばやはり少し残念な思いはあります。時々私はパソコンの前で、以前全国大会の会場で一緒に戦った選手の対局を見ていて、少しはがゆい思いを感じることがあります。しかし私の理知は、もしも私が当時専業棋士になることを選んでも、私の今のシャンチー愛好者としての生活を羨ましいと思うだろうと告げています。錢鍾書さんの「囲城」のようですね。

※ 『囲城』は主人公方鴻漸が恋愛結婚をしたものの、最終的にその結婚が破綻する様が描かれている作品です。 『囲城』という本のタイトルは、作中で結婚に関して交わされた「金の鳥籠のように、籠の外の鳥は中で暮らしたいと思うし、籠の中の鳥は外に飛んで出たいと思う」、「城の外の人は攻め入りたいと思うし、城の中の人は逃げ出したいと思う」という会話に基づいて付けられています。これを例に、シャンチーのプロとしての人生を選べば、別職業でシャンチーの愛好者でいることを羨ましいと感じ、愛好者として過ごしているとプロの対局をみているだけの自分をはがゆく思うのだろう、とお話しされています。


Q、現在のお仕事についてお聞かせ下さい。お仕事やその他の人間関係で、シャンチーの経験が活きる場面はありますか。

A、私はいま家族とともに北京で生活しています。そして、北京の政府機関で書記の仕事をしています。

私はシャンチーがこの仕事の助けになっている点は2つあると思います。 

1つはシャンチーを勉強したことで感情が豊かになり人格が鍛えられた点です。また、シャンチーを通じて思惟が鍛えられました。これは私自身の体験です。これらは自分も気付かない間に感化されており、私の思考方式は、仕事生活における様々な方面など、生きていく上での価値観に影響を与えています。これらは様々な出来事や事情などに対して、具体的に何かの助けになるのではなく、進むべき明らかな方向性を導くことを助けてくれています。

2つ目は交流関連です。シャンチーと言うのは1つの出会いの場です。シャンチーがつなぐ出会いではどちらもシャンチーが好きで、同じ思いを持つ多くの友人に巡り合うことが出来ました。これらも私にとってとても大きな助けになっています。


Q、愛好者としての生活で現在どのような頻度でシャンチーにふれていますか、また現在のシャンチーへの目標があればお聞かせください。

A、私は現在娯楽の時間にだけシャンチーを指すことが出来ます。 そのため、現在アマチュアの大会に参加する頻度はあまり高くありません。平均すると毎年1、2回でしょうか。試合に参加する時はシャンチーの仲間に会いに行くような感じです。また、シャンチーの仲間と直接会って交流対局をする機会も減りました。たまにネット対局をするぐらいです。

今はだいたい天天象棋の棋力測評か友人と約束してネット上で対局をしたりしています。その他には比較的重要なプロ選手の試合の対局を観戦しています。その試合の対局を通じて、出来る範囲内で勉強をしています。

私自身のシャンチーのレベルに関しては、とくにこれ以上上を目指すと言った目標はありません。なぜならそれにはとても多くの時間と精力を注ぐ必要があるからです。私には今それだけの時間と精力をシャンチーの趣味に注ぎ込む余裕がありません。

しかし、私は以前からシャンチーの理解についての本を出版するつもりでいます。これまでのところ30万字ほど書き進みました。

(ちなみに天天象棋のクラスを聞いてみたところ…「今はまだ対局数が少ないので、9-1にいます。勝率は76.4%です」とのことです!!本気で上げたらどこまで行くのか…気になります!!)


○対局中の様子


Q、シャンチーの愛好者として、今後のシャンチー界に望むことや期待していることがあればお聞かせ下さい。

A、私は生活習慣や思惟方法等の方面でシャンチーの影響を受けています。私はこの影響は私にとって良いものであると思っています。一人のシャンチー愛好者として、より多くの人がシャンチーを知り、シャンチーに触れ、シャンチーのイベントに来て下さることを望んでいます。また、それによりシャンチーから得るものがあってくれれば良いなと思います。

Q、これは私の興味的な質問なのですが…シャンチーのプロのチームを応援するときは北京チームと四川チームどちらを応援しているのでしょうか。

A、私の故郷は四川で、小さい頃から四川で育ちました。そして四川省シャンチーチームで何年も過ごしました。そのため四川チームの先生やチームメンバーには深い思いがあります。四川チームと北京チームの試合では私は両チームとも応援しています。どちらの選手も良い内容を発揮することが出来るように祈っています。ただ私はやはり四川チームが勝つことを望んでいます。


○成都棋芸学校での車輪戦の様子

(このイベントでは呉優さんの他、許銀川さん、鄭一泓さん、党斐さん、常虹さんが車輪戦に参加していたそうです。呉優さんの後ろには鄭一泓さんと常虹さんが写っています!)


2先のハンデ戦について

Q、最近「象棋プロアマチュアハンデ付挑戦賽」で趙鑫鑫さんと2先の対局をされていましたが、2先の開局についてお聞かせ下さい。またこの対局にあたって準備した開局があればお聞かせ下さい。

A、そうです。2020年3月6日、私と趙鑫鑫選手は携帯天天象棋で2ラウンドの対局をしました。どちらも私が2先の対局です(2先は紅が2手指してから黒が次の手を指し、それ以降は普通に指す対局です。つまり2先は紅が1手多く指すハンデ戦です)。

1局目は、私は優勢でしたが引き分けになりました。そして2局目で私は少しめずらしい変化を指したいと考えていました。しかしその変化には2先の優勢がありません。また気持ちと持ち時間等の圧力からか、明らかなミスの手を指してしまい、最後は負けてしまいました。

2先は紅にとって比較的大きな優勢です。また典型的なシャンチーの布局定跡から離れます。そのため実際のところ事前に開局を準備することは難しいです。そのため私がどんなに準備しても、私が準備できるぐらいのものは普通の開局と比べると深さが足りません。

私はその時の私と趙選手との対局と、他にも許銀川選手と陳地華選手(海南棋王)との対局を真面目に見てみました。2先の対局の準備の角度から言うと、私と趙選手との対局に対して、私の準備はしっかり出来ていたとは言えません。また実戦の情況から見ると、1局目は開局から大きな優勢だったわけではありません。2局目も私は開局で2先の優勢を発揮することは出来ていませんでした。やはり開局の準備は明らかに不足していました。


Q、日本のメンバーと話している時に2先と3先の棋譜についてどのように進めるのが良いのかという話題が出たことがあります。確かに2手先に指せることは得なのかもしれませんが、日本選手は開局を研究して覚えて進めているところがあるので、開局の研究で10回合ぐらいまで時間を使わずに指せるほうが2手先に指すよりも良いのでは…と考えている方もいるようです。2先や3先のハンデがどの程度のものなのか、またそれを活かした対局方法などについてご意見をお聞かせ下さい。

A、紅の2先は、人と人の対局では紅にとって小さくない優勢です。ここで強調したいことは「人と人の対戦において」と言うことです。なぜなら私はよく自分で比較的強いソフトを相手に2先での対局を行います。しかしその2先の優勢はすぐになくなります。

王天一さんがシャンチーのライブ中継で「もしも自分がソフトに2先や3先で指すことがあれば、これは討論することの出来る範囲内です」とお話しされていました。私個人の理解で王さんのこの言葉の意図は「このような対局において自分はソフトとも良い勝負が出来る」と言うことだと思います。

しかし、人と人の対局では状況が異なります。人の計算能力はソフトの計算力と比べると、はるかに劣っています。また人と人との対局においては、優勢な局面は比較的すぐれていますが、劣勢な局面で最も粘り強い防衛を考えることに関しては、少し弱くなります。この点においてソフトは人のように劣ることはありません。もしかすると私たちはこのようなひとつの結論を出すことが出来るのかもしれません。それは「レベル感が同じ対局者同士の場合、2先は比較的大きな優勢で、3先はそのさらに上の優勢だ」と言うことです。

私は小さい頃から系統的にシャンチーの理論を学んでいます。シャンチーの開局には2つの基本原則があります。1つは早く大きなコマを出すこと、もう1つは左右のバランスよく均整にコマを出すことです。これは一般的に良く言われることです。さらに具体的に言えば大きなコマが出て、如何にして重要な位置を占拠することが出来るかです。また同時に自分のコマが形勢を整える上で、相手のコマの動きを封鎖させ、動きに制限を与えることも重要です。これらはそこから続く中局のための戦闘準備です。このような固有の開局定跡から離れた後、この原則に従って、再度具体的な問題を分析する必要があります。

一般的には2先の対局は片方が明らかにレベル感の落ちる場合に使われます。そうでなければ普通2手譲ることはありません。しかし基本的な条件として、ここでのレベル感に技術的なレベルは問いません。

私が思うに、2先をもらう方が、自分の精神状態に気をかけることはとても重要です。2先は確かに一定の優勢があります。しかしこの優勢はすぐに局面をコントロールすることが出来るほどの優勢ではありません。少しずつコマを進め、ゆっくり優勢を拡大するしかありません。

しかし精神面が上手く整っていないと、2先の優勢がとても大きいように錯覚してしまうことがあります。それにより開局や中局の段階で積極的に指し、優勢を拡大するために無理やり強い攻撃をしようとすることがあります。そのように指すと相手が反撃しやすくなります。


呉優さんにとってシャンチーとは

Q、呉さんにとってシャンチーとはどのようなものですか。また呉さんの思うシャンチーの魅力を教えて下さい!

A、ずっと昔から私は自分自身のシャンチーに対しての「思い」があることを知っていました。それはきっと毎日道でシャンチーを指しているお年寄りの方の持つ「思い」とは違います。彼らは数十年ずっとシャンチーを指しており、シャンチーに対しての熱意に満ちています。それに対して私は小さい時から系統的に基礎能力の訓練をしてきました。大量に繰り返されてきた訓練はとても退屈なものです。そのため私のシャンチーへの思いは、はじめは美しく、好きだと言う思いがありましたが、毎日触れているうちに飽きてしまったところもあります。シャンチーを指すことは、ほとんど1つの習慣のようなものでした。そのため道で指して楽しんでいるお年寄りのように熱狂することは出来ませんでした。

もちろんもう1つの可能性として、私が彼らよりももっとシャンチーを理解しているとも言えます。人はよく自分が理解しきれていないものに対して、それが謎多き神秘的なもののように感じ、普通以上の並外れた興味を持ちます。

シャンチーが私にとって何なのか、この問題はとても深い問題です。

5歳からシャンチーの勉強をはじめて、朝も夜も問わずに1日中シャンチーに触れる生活を10年以上過ごしてきました。以前の私にとってシャンチーは1つの習慣です。高校3年の頃、普通の高校3年生としての段階に入り、私はシャンチーと離れた1年を過ごしました。

この期間にひとつの小さな出来事がありました。そして私はその時、それまでと違ったシャンチーへの思いを感じました。

その日は学校が終わった後の夜でした。私は家に帰る途中の道でシャンチーを指している人達を見かけました。彼らは江湖排局(※)を並べていました。 私はその盤の前にしゃがみ込んで、その局面を1時間かけて細かく計算し、解答方法を心の中で導きました。

それまで、私はしばらくの間シャンチーを指さない生活をしてきました。そんな私が突然シャンチーを目にした時、1つの深い感情が洪水のように溢れ出し、私はその思いを抑えることが出来ませんでした。私はこの時にはじめて意識しました。それまで私は、シャンチーは自分にとって1つの習慣のようなものだと考えてきましたが、そんなに簡単なものではありませんでした。

シャンチーはすでに私の血液の中に溶け込んでおり、それだけではなく空気のようなものだったのです。私は早い段階からシャンチーの存在があることが習慣化されていました。そのため私はいつも呼吸をするときに、シャンチーの重要性を意識することはありませんでした。そしてある時、突然シャンチーに触れなくなりました。それはまるで呼吸を止めているかのようなことだったのです。

私の思うシャンチーの魅力の認識は、ずっと変わり続けています。

シャンチーの魅力は無限に変化するもので、全くつかむことの出来ないものです。

最初の頃、シャンチーは私にとって1つの面白いゲームでした。

その後、シャンチーを鍛錬した後の私の思惟(例えばロジック思考能力や空間想像力等)で、シャンチーは私の生活に大きな体験をくれました。

勝ったり、失敗したり、訓練が苦しかったり、入賞して興奮したり、優勝をのがして落ち込んだり、そしてよく優勝することが出来るようになってからの優勝への無関心な思い、そしてそのもっと後で、私はシャンチーが中華の優れた伝統的な文化であるという認識を持ちました。

千年間かけて変わりつつも、そのかたちを形成してきたシャンチーには、現在に至るまでの千年の歴史があります。シャンチーの河(楚河漢界)や10本の横線と9本の縦線、それらは全て中国文化の縮小図です。シャンチーの紅黒、先手後手、優勢劣勢、嘘と真実、攻守、勝敗、棋風の攻撃性と柔軟性、穏健な局面と激しい対攻状態の局面、これらはすべて陰陽の対立の具体的な体現です。

私のシャンチーの魅力への考え方は、ちょっとしたことで変わります。これもシャンチーの魅力の一種の体現だと思います。

この変化は、シャンチー文化の広さと奥深さを証明しています。

中国には“仁者見仁、智者見智(仁者が見れば仁と言い,知者が見れば知と言う)”と言う言葉があります。これは「同じ問題でも見方によって異なる見解が得られるもの」と言う意味です。違う角度から見れば“雅者見雅、俗者見俗”も理解することが出来ます。(中国では雅俗は「上品なものと俗っぽいもの」と言うように対立する概念で考えられています。)

私が見たところ、雅俗がともに鑑賞するシャンチーは、みんなに開かれた対局の場です。シャンチーを親しむ仲間は自分の学識や生活体験に基づいて、シャンチーの内側から異なった悟りを開くのです。


※ 江湖排局とはシャンチーの術語です。主に明清代から伝統的に継承されてきたシャンチーの局面です。局面はすでに作られており、コマは複雑に置かれています。その局面はとても複雑で、双方に唯一正確な指し方があります。どちらかが間違えればすぐに終わってしまいます。昔は民間のシャンチープレーヤーはこれを使って良くお金をかけて遊んでいました。そのため“跑江湖”と呼ばれるようになりました。

補足、“跑江湖”とは:はじめの頃、川などがあるところでは商業活動が行われるようになり、そのような場所を「江湖」と呼ぶようになりました。後に川などがなくても人間活動が活発化されている場所も同じように「江湖」と呼ぶようになりました。そしてさらに後には個人で始めた様々な職種のかたまりのことを「江湖」と呼ぶようになりました。シャンチーも飲食店や販売業などと同じように1つの商売の道具として生活に浸透していたと言うことです。「跑江湖」と言うのはシャンチーを使って商売をすると言う意味です。


○許銀川さんとシャンチーを指している様子

(後ろには鄭惟桐さんもいます)


おわりに

日本のシャンチーファンにひと言頂きました!

“山川異域,風月同天。一衣帯水,共結棋縁。”

(中国と日本には同じ山や川はありませんが、吹いている風や私たちの見ている月は同じものです。私たちの住む場所は海で隔てられていますが、実際はとても近くにあります。これからも一緒に棋縁を結びましょう。)


(ちなみに日本のシャンチーのことで知っていることを伺ったところ、所司先生のことをご存知とのことで、「棋譜も見たことがありますよ」とお話しされていました!)


○おわりに

シャンチーのプロを引退された後も、とても深い思いを持って現在もシャンチーを大切にしているのだな…と言うことを感じる素晴らしいインタビューでした!おそらくトークリレー史上最も内容の濃いインタビューだったように思います!

今後もシャンチーが呉優さんの生活の中で輝き続けることを祈っています!


○呉優さんのカメラ作品


○呉優さんの書道作品


呉優さん、膨大なインタビューを受けて頂き、本当にありがとうございます!

おわり

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