インタビュー「沈浩さんとシャンチー(象棋)」

インタビュー・対談

(写真は沈浩さんがラジオの中国語チャンネルでシャンチーの宣伝をした時のもの。)

今回は日本のシャンチー(象棋)史上とても有名な沈浩さんにお話しを伺いました!

前の所司先生のインタビューの際に沈浩さんのお話しが出ました。私がシャンチーをはじめてから何度も耳にしたお名前だったので、以前から一度しっかりとお話しを伺いたいなと考えていました。幸いなことに私も沈浩さんとはチャット仲間でしたので、この機会に是非!と言うことでインタビューを申し込み、快くOKを頂きました。とても嬉しいです!(ありがとうございます!)

沈浩さんは日本に滞在中に日本国内の試合で何度も優勝しました。また、第3回世界選手権へ出場し、9位に入り国際棋連大師の称号を獲得しました。そして、アメリカに移住後もシャンチーでの活躍は止まることなく、2012年第5回北アメリカシャンチー(象棋)オープンでも優勝されました。ご本人はとても謙虚に「運が良く…」とお話しされていましたが、「実力」です!!(間違いない)。

今後何かの試合で沈浩さんとお話し出来ることがあるといいなと思います!

では、沈浩さんのお話しをお楽しみください!

シャンチーとの出会い

【シャンチーとの出会いや当時の勉強環境について伺いました】

私は1962年に上海で生まれました。大体6歳のころにシャンチー(象棋)と出会いました。1977年に上海市の試合の18歳の組で優勝して以降、住み込みでのシャンチーの専門の授業を受けるようになりました。そこで胡栄華先生、徐天利先生、朱永康先生、于紅木先生、朱剣秋先生の指導を受けることとなりました。これにより、シャンチーの理解を深めるための新たな段階へ足を踏み入れました。

幼い頃のシャンチーを勉強する環境はとても良かったです。道を歩けばどこにでもシャンチーを指している人たちがいました。そこでいつでもシャンチーを指すことが出来ました。1974年に隣人であった趙干之先生のところに弟子入りしました。そこで、棋譜をとり、対局時計を使うシャンチーを学びました。その後、虹口区の精武体育館のシャンチーセンターに行き勉強するようになりました。そこでは柳忠愈先生とで于紅木先生(専門棋士であり国家大師でした)の専門的な授業を受けました。

そして1975年の秋ごろから上海市の少年シャンチー訓練クラスに送られ、そこで朱剣秋先生の布局体系の講義を受けました。そこでは当時流行していた様々な類型の布局をしっかりとしたレベルで学び、確かな進歩がありました。

胡栄華先生の印象

1977年と1978年の全国シャンチー大会の前に専門訓練クラスで、胡栄華先生の指導を受けました。印象に残っている胡栄華先生は、復盤の際に棋譜を覚えさせるのではなく、「あなたはこの時どのように考えて指していたのか」と聞き、胡栄華先生の指導が思考の方向性を教えるものだったと言うことです。

胡栄華先生のこのような指導のかたちは、一つのとても高い象棋の境地でした。

日本に来てから

【日本でのシャンチー交流について伺いました】

日本では週末にシャンチー仲間が私の家に来たり、私が遊びに行ったりして、シャンチーの交流をしていました。大体は指した試合の復盤をし、その棋譜の研究をしていました。

確か一度日本シャンチー協会の山田事務局長に頼まれて日本シャンチー協会のコーチとしてシャンチー入門講座でお話しをさせて頂きました。その時の口座には大体20人ほどの人が参加していました。

(また、1994年当時のコンピューターのソフトについて伺ったところ、1994年ごろはまだコンピューターの分析ソフトはなかったそうです。)

【所司先生との思い出について伺いました】

私は1988年4月に東京に留学に来ました、1995年に東京からロサンゼルスへ行きました。

私の記憶では私が所司さんと知り合ったのは1993年だったと思います。その年私たちは 日本シャンチー協会から派遣され北京で行われたシャンチーの第3回目の世界選手権に出場しました。所司さんはNC/NV組に参加していました。

その出会いがきっかけとなり、所司さんはよく車で私の家へ来るようになり、一緒にシャンチーの交流を楽しみました。 所司さんは記憶力に秀でており、とくに布局の研究をすることが大好きでした。

またシャンチーの進歩もとても早かったです。

そしてまた所司先生が良く熱帯魚をくれたことを覚えています。熱帯魚の育て方も教えてくれました。

【現在の日本のシャンチーのレベルについて伺いました】

当時の日本シャンチーのレベルは現在とは比べることが出来ません(現在が高い)。 しかし山田事務局長の苦労もあってか既に所司さんのようなシャンチー大師が出現しています。シャンチー全体のレベルは、今は昔よりずっと素晴らしいです。またシャンチーに対し努力し、レベルの高い日本人選手が多くなりました。

国際試合について

【沈浩さんは日本に滞在中に日本代表として国際試合に出場されています。そのことについてお話しを伺いました】

1992年、日本ははじめてマレーシアのペナンで行われたシャンチーの第七回目のアジア選手権の団体戦に出場しました。これは1978年に一度シャンチーの世界を離れた私にとっても、はじめての大きな国際試合でした。

しかし精神的にも試合経験の面でもまだ以前のような状態ではありませんでした。またさらに何年間もしっかりとした布局の研究も出来ておらず、最終的な成績は指し分けでした。この大会ではアジア大師の称号を得る機会をのがしてしまいました(当時、アジア選手権で勝率60パーセント以上取るとアジア大師の称号がもらえました)。

しかし翌年1993年の世界選手権は、私も試合のための準備を比較的ちゃんとして参加することが出来ました。

まずは日本シャンチー協会の山田さんの家に行きシャンチーの本を借りました。時間を見つけては借りた本を読み、新しい布局を深く研究しました。そしてまた、試合のために開催地である北京に行く前に一度上海に帰りました。そこで先生に指導をしていただき、レベルの高い方と対局をしました。これらを通じて、自然とシャンチーの感覚を取り戻すことができ、良い状態にすることが出来ました。

そのため幸運にもシャンチーの第3回世界選手権では9位に入り国際棋連大師の称号を獲得しました。

おわりに

2009年と2011年、2013年は西アメリカ代表として世界選手権に参加しました。 その期間は日本のシャンチー仲間と打ち解けた交流が出来、とても楽しかったです。

現在の日本チームが純日本人のメンバーで構成されているのを見て、日本シャンチーの選手層の厚みを感じました。また日本選手のレベルの高さも深く感じています。

近い将来に日本と言う「小さなシャンチー国」が国際大会で大きな記録を出し、人々を驚かせ、世界的に見直されるようになる日が来ることを応援しています。

日本のシャンチー仲間のみなさん、頑張って下さい。

おわり

アメリカでの様子

沈浩さんから最近のアメリカでの様子を伺ったところ何枚かお写真を頂きました!

あまり海外での様子は見る機会がないので、「アメリカはこんな感じなのか!」と思いながらみていました。みなさんにも楽しんでいただけるかなと思い、写真コーナーを作ってみました(^▽^)/

今年の春節のフェスティバルでの写真です。赤い提灯みたいなものが、春節らしさを出していますね!!そして見る限りアメリカでも多くの中国系の方がシャンチーをされているようです。日本でも総数の比率から考えれば中国系の方が多くシャンチーのイベントに参加していると思います。しかし、実際の人数ではまだまだ多いと言えないので、是非日本にいる中国系の方が多くイベントに来て頂けるといいなと思います(*´▽`*)

アメリカでの試合の様子。右の写真で沈浩さんと対局されている方はベトナムの阮友科選手です。阮友科選手は2010年の北アメリカシャンチー(象棋)オープンでは準優勝されました。

アメリカには中国系の方ばかりでなくベトナムから移住された方も多いようです。やはりシャンチーには中国系、ベトナム系の方が強いと言うイメージがありますが、今後海外でも日本人のプレーヤーが増えるといいなと思います!!

沈浩さんと、お母さまとのお写真です。たまに沈浩さんが近況のお写真をアップされるのですが、そこに写っているお母さまはいつもとても幸せそうです。アメリカと言う中国から遠く離れた場所でもお母さまが毎日笑顔の絶えない生活を送っているのは、そばに沈浩さんがいるからなのだなと思います。(*‘∀‘)素晴らしい親子関係だなと思います!

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○おわりに

沈浩さん、今回はインタビューを受けて頂き、本当にありがとうございます。 私がシャンチーをはじめたばかりの頃から、沈浩さんのお話しは「伝説の人物」として良く耳にしていました。このように当時のお話しを伺えることはとても貴重な経験です。

今後もアメリカでの沈浩さんのご活躍を応援しています!

コメント

  1. […] […]

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